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名古屋高等裁判所 平成7年(行コ)1号 判決

控訴人(原告) 牧内元克 外二名

被控訴人(被告) 建設省中部地方建設局長

訴訟代理人 畑中英明 西森政一 藤居正樹 ほか一〇名

主文

一  控訴人らの本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中、控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人がした河川法二三条及び二四条に基づく左記水利使用許可処分を取り消す。

対象河川名        一級河川天竜川

許可年月日及び許可番号  昭和六〇年三月二七日建部水第三八号

許可期限         昭和九〇年三月三一日

水利使用者        中部電力株式会社

水利使用の目的      水力発電

最大取水量        毎秒一七八・〇八六四立方メートル

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決を求めた。

二  被控訴人

控訴棄却の判決を求めた。

第二事案の概要

本件は、長野県下伊那郡泰阜村を流れる一級河川天竜川(以下「天竜川」という。)に存する泰阜ダム(昭和一〇年一二月完成。以下「本件ダム」という。)について、被控訴人が、その所有者である中部電力株式会社(以下「中部電力」という。)に対し、従前の水利使用許可期限が経過したことに伴い、改めて前掲水利使用許可処分(実質は従前の水利使用許可期間の延長ないし更新。以下「本件処分」という。)をしたところ、その上流に位置する長野県飯田市川路(昭和三六年三月三一日の飯田市編入前は、長野県下伊那郡川路村。以下「川路地区」という。)に農地を所有する控訴人らが、本件ダムを存立せしめ、かつ水力発電に用いる法的根拠は本件処分であるが、本件ダムの存続によって天竜川の河床が上昇し、農地等が洪水被害を被るおそれがあるなどと主張して、本件処分の取消しを求めたものである。

これに対し、被控訴人は、控訴人らは本件処分の取消しを求める原告適格を欠くこと、そうでないとしても、本件ダムは水力発電という公益事業に供されていること、国によって、本件ダムによる河床上昇の影響を補って余りある種々の治水事業、洪水対策が講じられていることから本件処分は河川法の趣旨に合致した適法なものであるなどと主張して右請求を争っているが、控訴人らは、右洪水対策については安全性が確認されていないなどと反論している。

原審は、控訴人らの原告適格を認めたが、本件処分の適法性を肯定し、控訴人らの請求を棄却した。

一  当事者間に争いのない事実等は、次のとおり訂正するほか、原判決「事実及び理由」欄の第二の一記載のとおりであるから、これを引用する。

1  (控訴人らによる農地所有の事実)

原判決六頁一一行目から七頁四行目までを次のとおり改める。

「控訴人らは、川路地区に所在する原判決添付の図面中赤線で囲まれた区域(後述の飯田市災害危険区域に関する条例により第一種災害危険区域に指定された部分)内に農地を所有している。

すなわち、控訴人牧内元克は、牧内敏と牧内久(昭和二三年に婚姻)との長男であり、昭和六〇年一一月二一日に敏が死亡したことにより、その所有にかかる農地約一町歩五反(うち右区域内の面積約一町歩)を久と共同相続した。右農地では、現在、りんご、米、野菜などが栽培されている。

控訴人塩澤龍雄は、昭和四五年に旅館業に転ずるまでは養蚕に従事していたものであり、昭和二一年に父親からその所有にかかる農地約三反五畝(うち右区域内の面積約三畝)を相続し、現在、里芋を栽培している。

控訴人今村亮は、昭和一三年に父親が戦死したことに伴い、その所有する農地約一〇反(うち右区域内の面積約三反)を家督相続し、現在、柿、野菜などを栽培している。」

2  原判決八頁九行目の「証拠(甲八六ないし八八、九六ないし九八)」を「証拠(甲八六、八七、九六、九七)」と改める。

二  争点(及びこれに関する当事者の主張)は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決「事実及び理由」欄の第二の二記載のとおりであるから、これを引用する。

1  (原告適格についての控訴人らの補充主張)

原判決一〇頁一三行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「被控訴人は、本件ダムを存続せしめているのは、法二六条の許可処分であると主張するが、右許可は工作物の新築等を許容するだけであり、土地を使用、占有する権原を与えるものではないから、河川管理者以外の者が管理する土地については、別の契約により使用、占有する権利を取得し、その他の土地については法二四条の許可を受ける必要がある。よって、本件ダムの存続を許容しているのは、本件処分である。」

2  (原告適格についての被控訴人の補充主張)

原判決二〇頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「右に述べたように、本件ダムを存続せしめている根拠が法二六条に基づく許可処分であることは、法二四条の許可は河川区域内の一定範囲の土地を排他的に占有する権利を付与するにすぎず、工作物の伴わない形態での土地の排他的占有(例えば河川敷に設けられた公園)が存在すること、法二六条の許可は、当該工作物の目的、設置場所、工作物の名称又は種類、工作物の構造又は能力、工事の実施方法及び工期等を審査した上でなされるのであり、仮に法二四条の許可が取り消されても、工作物によってはその除去によって河川管理上の支障を生ずることもあるため、設置だけでなく除去をも許可の対象にかからしめていることなどから明らかである。」

3  (地上げ計画の安全性についての被控訴人の補充主張)

原判決三八頁五行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「また、河川の横断形状を概念的に分類すると、計画高水位が堤内地盤より高く、堤防を築造することによって計画高水流量を流下させる堤防方式による河川と、計画高水位が堤内地盤以下であり、堤防を築造することなく計画高水流量を流下させる堀込河道方式による河川とがあるところ、本件の地上げ計画は、堤内地盤を計画高水位まで盛り土するものであり、結果的に後者の方式をとることになる。

そして、前者では、計画を超える異常洪水に対し、破堤などの場合に一度に多量の水が堤内地に侵入することになり、被害が甚大となるが、後者では、一度に多量の水が堤内地に侵入することはないし、内水被害についても、堤内地盤を高くすることにより内水の湛水時間も短くなるので軽減されるという長所がある。」

4  原判決四〇頁一行目から二行目にかけての「天竜川公社」を「財団法人飯田市天竜川環境整備公社」と訂正する。

5  原判決四〇頁四行目末尾に、次のとおり加える。

「その結果、平成七年河床と昭和五八年一二月河床を基にした水位計算結果とを比較すると、約一・九メートルの水位低下が見られる。」

6  (更新処分における裁量権についての被控訴人の補充主張)

原判決四三頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「このように、河川管理者が、法二三条、二四条に基づく処分をするについて広い裁量権を有することは、当初の許可処分の場合と本件処分のように実質的に許可期間の更新の性質を有する場合とで本質的に差異はないというべきである。」

7  (処分の適法性の主張立証責任に関する被控訴人の補充主張)

原判決四三頁一二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「ところで、控訴人らは、本件処分の適法性についての主張立証責任に関し、行政庁において、まず、その判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張立証する必要があり、これを尽くさない場合には、行政庁がした判断に不合理な点があることが事実上推認されるべきであると主張して、伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一〇月二九日判決・民集四六巻七号一一七四頁を援用する。

しかしながら、右判決は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律二四条一項三号及び四号所定の基準の適合性について、各専門分野の学識経験者を擁する原子力委員会の科学的、専門的技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断について、いわゆる専門的技術的裁量を認めたものであり、河川管理者が河川法二三条、二四条の許可処分をするに際し、いわゆる専門的技術的裁量のほか、政策的裁量も認められる本件とは異なるものである。控訴人らの右主張は、本件ダムという施設の安全性ではなく、地上げ計画という国の政策的要素の強い治水計画の安全性にまで広げて適用しようとするもので、相当でない。」

8  (補償金不払についての控訴人らの補充主張)

原判決五一頁一行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「少なくとも、控訴人牧内元克の先代敏及び同今村亮は、中部電力からの見舞金(減価補償)の受給資格を有していたにもかかわらず、その支払を受けたことはなかった。すなわち、牧内敏は、先祖代々、危険区域内に居住していたが、三六災の後である昭和三七年に右区域外に転居し、控訴人今村亮は、三六災後、その先々代が学校用地として賃貸していた所有地の返還を受けたが、危険区域に編入されているところ、両名については、中部電力から一円の支払も受けたことがない。したがって、右見舞金が支払われることになっていたことをもって、本件処分の合理性を補強することは許されない。」

9  (補償金協定の不合理性についての控訴人らの補充主張)

原判決五一頁五行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「被控訴人は、地形的、自然的要因により、川路地区は古来からの洪水常襲地帯であるかのように主張するが、本件ダム建設後の洪水は、規模、被害の点でそれ以前のものとは比較にならないものであり、その原因が本件ダムによる河床の著しい上昇にあることは、学者のみならず、旧河川法下での河川管理者である長野県知事も認めていたところである。

にもかかわらず、控訴人らが洪水被害に対する正当な損害賠償ではなく、右に述べたように不十分な解決金に甘んじなければならないとする前記協定(昭和四一年四月一六日付け協定の五条には、中部電力は、被害額のうち本件ダムに関係すると解される金額を支払う旨規定している。)は不合理なものであり、本件処分の合理性を補強するものではあり得ない。」

10  原判決五四頁三ないし五行目、七行目及び五七頁四行目の「三六年災」、「五八年災」を「三六災」、「五八災」と訂正する。

11  (地上げ計画の安全性についての控訴人らの補充主張)

原判決五七頁四行目から六行目までを次のとおり改める。

「〈1〉本件水位計算は五八災洪水の痕跡水位を基礎としているから、その数値が変動すれば、地上げ計画そのものの安全性に関する結論が全く異なったものになる可能性があるので、控訴人らは、その数値がどのようなデータからどのような方法によって導き出されたのかを明らかにするよう求めてきたが、被控訴人はこれに全く応じようとはしなかった。

しかしながら、現に、久米川橋北詰盛土計画標識盛土高と吉川工業株式会社事務所建物外壁の五八災水位痕跡の高さを比較すると、後者が二センチメートル高いのであって、一地点だけの調査で本件水位計算の基礎となる洪水痕跡値の誤りが確認されたということは、他の地点でも同様の可能性があるということであり、ひいては本件水位計算の手法そのものに問題があることを示唆するものである。」

12  (処分の適法性の主張立証責任に関する控訴人らの補充主張)

原判決六〇頁四行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「本件処分は、本件ダム建設当初の許可処分ではなく、許可期間の更新処分であり、前者は自由裁量であるが、後者は原則として羈束裁量と考えるべきである。取水又は流水の貯留の許可に付されている許可期間は、本来、その満了をもって許可を失効させる意図を有するものではなく、一定の期間ごとに許可の条件について再検討し、又は遊水水利権を排除する等の機会を河川管理者に与えるためのものと考えるべきであり、したがって、その更新の場合における河川管理者の裁量は、このような許可期間を設ける趣旨の範囲内に限定されると解されるからである。

もっとも、河川法一条が「災害発生の予防」をうたっている以上、期間更新処分の際、河川管理者がこれを再吟味しなければならないことは当然であり、ダムを設置したことにより上流の河床又は水位が上昇したり、下流の洪水流量が増加する場合は法七五条二項五号の問題が生ずるが、これに該当する事情があるときは、同条及び七六条の規定を類推適用して、前記更新を不許可とすることができるというべきである。

ところで、伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一〇月二九日判決・民集四六巻七号一一七四頁は、行政庁の判断に不合理な点があることの主張立証責任は、本来は取消請求をする原告が負うべきものと解されるが、「・・・安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。」と判示している。

本件で最も重要な問題は、地上げ計画の安全性であるが、これは一種の専門技術的判断であり、またその判断資料は、すべて被控訴人が所持している点で、右判決の事案と類似しており、したがって、その判断は、先例として本件においても拘束力を持つというべきである。」

第三証拠(省略)

第四当裁判所の判断

当裁判所も、控訴人らは本件処分の取消しを求めるにつき原告適格を有するものの、本件処分は適法であり、右請求は理由がないものと判断する。その理由は、次に付加、訂正する外、原判決「事実及び理由」欄の第四記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人らの原告適格について

1  (第三者を関与させる手続規定の欠缺についての判断)

原判決六八頁三行目の(四)の記述の冒頭に次のとおり加える。

「以上、述べてきたところを整理すると、河川法二三条、二四条の規定には、当該処分によって起こりうる洪水被害から周辺住民を保護する目的が明示的に掲げられているわけではないが、関連法令を総合して考察すれば、そのような災害を被るおそれのある者に対し、その発生防止についての具体的個別的利益を保護せんとする趣旨を十分に読みとることができるというべきである。

なお、河川法は、三五条、三六条において、建設大臣は、原則として、二三条、二四条に基づく処分の申請があった場合は関係行政機関の長との協議を、また、右処分をしようとする場合は都道府県知事の意見聴取をしなければならないと規定しているが、これ以外に、その過程において、周辺住民の関与を許し、あるいはその意思を反映させるべき手続については何らの規定も置いていない。しかしながら、そのような手続規定は、様々な趣旨、目的から設けられるものであって、これが存在しないからといって事後的救済方法ともいうべき抗告訴訟の原告適格を一般的に否定するものではないと解するのが相当である。」

2  (本件処分と法二六条に基づく処分の関係についての判断)

原判決七〇頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「この点につき、被控訴人は、本件ダムを存続せしめている根拠は、法二六条に基づく許可処分であると主張する。確かに、電力会社が新規にダムを建築し、水力発電事業を開始しようとする場合には、法二三条、二四条に基づく許可に加えて、法二六条に基づく工作物新築の許可(場合により、法二七条に基づく許可も)が必要となることが明らかである。

しかし、法二六条は、工作物の新築だけでなく、その除却についても河川管理者の許可にかからしめていること、法三一条は、当該工作物の用途を廃止したときは、工作物設置者は、速やかにその旨を河川管理者に届けなければならず、この場合において、河川管理者は、必要があると認めるときは、当該工作物を除却するなどの河川管理上必要な措置をとることを命ずることができる旨定めていること、法七五条は、河川管理者は、法令違反の行為をした者に対し、あるいは許可等が必要な行為につき、これを受けることができなかったとき、許可等にかかる事業を廃止したとき、洪水その他の天然現象により河川の状況が変化したことにより、河川管理上著しい支障を生じたとき、その他公益上やむを得ない必要が生じたとき等の場合には、工作物の改築若しくは除却等を命ずることができる旨定めていること、これら一連の規定に照らせば、法二六条に基づく工作物新築の許可は、それがあるからといって常に工作物の存続が許されるものではなく、逆にこれを欠くからといって河川管理者は常に除却命令を発すべき拘束力が生ずるものではない。したがって、工作物新築の許可は、それを受けなければ右工事をすることができないという法的効果を付与しているにすぎず(これは法一〇二条の罰則規定によって担保される。)、当該工事が完成した場合においては、その取消しを求める訴えの利益は失われるものというべきである(最高裁第二小法廷昭和五九年一〇月二六日判決・民集三八巻一〇号一一六九頁参照)。

そうすると、水利使用許可期間の更新が問題となっている本件において、本件ダムを存続せしめている法的根拠は、まさに本件処分というべきであるから、被控訴人の前記主張は採用できない。」

二  本件処分の適法性について

1  (危険区域における建築制限についての認定判断)

原判決七七頁一〇行目の「この危険区域は、」から一二行目の「建築してはならない。」までを次のとおり改める。

「この危険区域は、危険度に応じて第一種災害危険区域と第二種災害危険区域とに区分され、そのいずれの地域内においても住居の用に供する建築物の建築が禁止されることとなったが、後者の区域内においては、主要構造部が鉄筋コンクリート造の建物であるなどの一定の除外事由に該当する場合には、右制限を受けないものとされている。」

2  (補償協定廃止に伴う周辺住民の反応についての認定判断)

原判決八一頁四行目の「であった。」の後に次のとおり加える。

「もっとも、証拠(甲一一八、一一九の一、一二二の一、証人古井武志)によると、計画高水位まで盛土がなされた場合に水害補償の対象から外すとの点については、周辺住民からの反発が強く、「六条を守る会」、「川路危険家屋組合」、「川路水害予防組合」などからその存続を求める意思表示がなされており、飯田市当局も、土盛完成後に洪水被害が発生した場合、その原因等を調査の上、中部電力に補償を求めることもあり得るとの見解を維持している。」

3  (更新処分における裁量の範囲についての判断)

原判決八六頁三行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「もっとも、本件処分は、新たに水利使用を許可しようとするものではなく、その許可期間の延長(ないし更新)という実質を有しているから、その処分を認めるか否かの判断をするに際しては、処分の直接の名宛人たる中部電力(及びその前身会社)が既に相当の投資をして現に本件ダムを水力発電事業の用に供しているという事情をも考慮すべきであり、河川管理者が、単純な政治的、政策的配慮によって、安易にその地位、利益を覆すことは妥当でないというべきである。

したがって、河川管理者は、本件処分の判断に際しては、政治的、政策的観点よりも、科学技術的観点からする安全審査に重きを置くべきところ、一般的に、科学技術の分野においては、「絶対的な安全性」を要求することがその性質上不当と考えられるから、結局、本件処分をするに際しては、ダムの公益性との比較衡量の上で、右危険性が社会通念上容認できる水準以下であるか否かの判断に依らざるを得ないと考えられる。そして、右危険性の判断は、第一にその時点における科学技術水準に依ることはもちろんであるが、付随的には我が国の社会がどの程度まで右危険性を容認するかという観点をも考慮に入れざるを得ないと解される。

以上、述べてきたとおり、本件における河川管理者の有する裁量権の内容は、当初の原始的処分と比較すると、政治的、政策的裁量の部分が狭められるが、河川管理者は、本件処分に際し、右に述べたような安全性吟味の権限及び責務を有するものであり、逆にそのような審査の過程を経て、危険性が社会通念上容認できる水準以下か否かについて判断を下した場合には、原則としてそれが尊重されるべきことも当然というべきである。」

4  (裁量権濫用の主張立証責任についての判断)

原判決八六頁一一、一二行目を次のとおり改める。

「そして、河川管理者の右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったことについての主張立証責任は、本来、その取消しを求める控訴人らが負うべきものと解される。もっとも、本件処分をするについて被控訴人が有する裁量権は、前記のとおり、専ら科学的、専門技術的裁量を内容とすると考えられるところ、本件ダムとその存在を前提とした治水計画の安全審査に関する資料は、その主要部分を行政庁たる被控訴人の側が保持していることに鑑みると、まず被控訴人の側において、その判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張立証する必要があり、被控訴人がこれを尽くさない場合には、その判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。」

5  (本件ダムの公共性と中堤防計画の合理性についての認定判断)

原判決八七頁一行目から八八頁八行目までを次のとおり改める。

「(1) 前記一3で認定したとおり、本件ダム建設によりその上流部に土砂が堆積し、河床が上昇した結果、本件処分までの一一回におよぶ川路地区の洪水被害の発生又は拡大に影響を与えたものと認められる。そして、乙九九によると、このような状況は三六災直後をピークとして、その後次第に改善され、本件ダムによる洪水被害への影響は相当程度排除されたと認められる。

もっとも、乙九九によれば、本件処分時において、なお川路地区では、本件ダム建設前の河床の状態までには復していなかったことが認められるところ、前記のとおり、法二三条、二四条に基づく河川管理者の処分は、法一条を始めとする河川法の趣旨に合致するように行われなければならないので、本件ダム存続の法的根拠となる本件処分が適法視されるためには、その存在が公共目的に合致していることと、本件ダムの存在による洪水被害への影響が概ね排除されたと評価し得る程度の合理的な治水対策が行われていることの二要件を必要とすると解される。

そこで、まず前者について検討するに、証拠(乙三三の一、二、証人尾田栄章)によると、本件ダムによって貯留された河水を利用する泰阜発電所は、最大出力五万二五〇〇キロワット、年間発電電力量約一億六〇〇〇万キロワットアワーであり、昭和一一年当時の国民約三九三万人分、一般家庭約七〇万軒分の消費電力を作り出し、主たる送電先である中部地方の電力需要の約八・一パーセントを賄っていたこと、その後の電力事情の変化により、右発電所の占める地位は相対的に低下したものの、平成元年当時においても、飯田市の年間電力需要量の約七二・五パーセントに相当する電力量を発電しており、特に環境問題が大きく取り上げられるようになった昨今においては、いわゆるクリーンなエネルギー源としての価値が脚光を浴びていること、以上の事実が認められ、これによれば、本件ダムが国民経済上多大の貢献をしていることは明らかであり、その存在が公共目的に合致していることは疑う余地がない。

次に治水対策について検討するに、一般に、行政処分の適法性の判断は、その処分時に存した事情を基礎としてなされるべきものであるので、本件処分の適法性の判断についても、基本的にはその当時に実行され、完結していた治水対策を対象としてなされるべきである。そこで、まず、そのような適格性を有する治水対策のうちで中心的なものと考えられる中堤防計画の合理性について検討するに、前記二1(二)(2)で認定したとおり、右中堤防は、築造当時は三六災につぐ規模であり、確率的には一〇年に一度程度の洪水流量であると推定された昭和二〇年一〇月の洪水に対処できるように設計されていたというのであるから、これによっても本件ダムによる洪水被害への影響は相当程度排除されたと認められる。

もっとも、右レベルを超える洪水の際には、溢水自体を避けることはできないが、この場合も破堤しないように越流堤として築造されていることから、流量がピーク時を過ぎて毎秒二〇〇〇立方メートル以下に下がれば、それ以上の被害の拡大を阻止することが期待できる。その上で、三六災の際に浸水した区域に相当する区域を危険区域として指定し、原則として居住用建物の建築を禁止するとともに、その範囲内にあった家屋の移転を完了したというのであるから、人命に対する被害の恐れは一応解消したものということができるし、危険区域に指定された土地の価値減少と、溢水の際に予想される農作物等への被害についても、中部電力による補償義務が設定されたことによって手当がなされている。そうすると、稀に生起する大洪水の際における本件ダムによる影響は、右「危険区域の指定」及び「補償制度の整備」によってカバーされているものと評価することができる。

これらの施策は、越流を前提とする点で当初の大堤防計画と異なっており、現実に五八災の際には危険区域を中心とした地域が冠水被害を被っているが、自然を相手とするものである以上、その時点における国力、技術力などからくる制約を免れることはできないし、あるいはまたその対策を策定するに当たり、地域住民の要望をできるだけ反映させることも当然ありうるものであって、これらの要素を考慮に入れた上で行われた対策が、それ故に不合理なものとの評価を受けることはないと考えられるところ、本件の中堤防計画は、地元における農業経営の困難化との比較衡量の上で策定されたものであって、総合的な治水対策としてはその合理性を十分に肯定することができるというべきである。

この点につき、控訴人らは、まず控訴人牧内元克の先代敏及び同今村亮は、中部電力からの減価補償を受給する資格を有していた(右両名が、第一種災害危険区域内に農地を所有していた事実は、前記の「当事者間に争いのない事実等」で述べたとおりである。)にもかかわらず、その支払を受けたことはないと主張し、これに沿う証拠(原審及び当審における控訴人今村亮本人)がある。

しかしながら、証拠(乙一〇〇の一、二、一〇八の一、二)によると、中部電力が、三六災直後に危険区域内から立ち退いた者に対する見舞金(実質的には右区域内に存する土地についての減価補償)として支払うことになった四三〇〇万円については、その関係者の間で地区ごとに配分されることになり、天竜川治水対策委員会が主体となって、昭和四一年五月一〇日、飯田市役所の各支所において支払われたことが認められるところ、右中部電力による負担の事実は、大きく新聞報道がなされているから、仮に右控訴人らに対し、その受給資格を無視して支払がなされなかったのであれば、右控訴人らから何らかの抗議がなされて然るべきところ、そのような形跡を窺わせるような証拠はないので、被控訴人らの右主張を認めるには躊躇せざるを得ない。仮に右主張が事実であるとしても、中部電力としては、長野県知事との昭和四一年四月三〇日付け協定書(乙一九)に基づく義務を履行したものであり(右協定書二、三条によれば、中部電力は長野県知事に負担金を納入し、その使途は長野県知事に一任することとされている。)、右控訴人らに支払われなかったのは、その後における何らかの手続上の理由によるものと認められるから、治水事業としての中堤防計画自体に構造的欠陥があったと判断するのは相当でない。

次に、控訴人らは、洪水による危険区域内の農作物等の被害の補償金は、正当な損害賠償ではなく、不十分な解決金にすぎないと主張するところ、証拠(甲一二四、証人古井武志、原審における控訴人今村亮)によると、五八災において支払われた補償金は、飯田市役所の算出した被害額のほぼ半額であった事実が認められる。

しかしながら、中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間の昭和四一年四月一六日付け協定書(乙二〇)の五条は、被害額のうち本件ダムとの間に因果関係があると解される金額を中部電力が負担することを定めたものであり、それ自体は当然のことと考えられる上、前記補償額についても、地形、降雨量等の自然的諸条件と本件ダムの存在という人為的条件とを考慮しつつ、中部電力との交渉を重ねることによって合意に至ったというのであるから、中堤防計画の合理性を損なうものとはいえない。」

6  (洪水防止対策の合理性についての認定判断)

原判決八八頁九行目から一三行目を次のとおり改める。

「(2) 次に、本件処分時において、洪水災害による被害発生の予防ないし抑制を直接の目的として、天龍川上流域の総合治水対策としての砂防事業、治水機能を持つダム建設、川路三地区における中堤防の建設とその堤内地の地上げ、地上げ計画、河床堆積土砂の浚渫などの諸対策が講じられ、あるいは講じられつつあったことは右1で認定したとおりである。

その結果、証拠(乙二六、二七の一ないし五、二八の一ないし四、二九の一ないし七、九四、九九、一〇六の一、一一三、証人古井武志)によれば、本件ダムの上流全般にわたって河床の低下が見られ、川路地区沿いについては、ピーク時の昭和三六年七月時点から平成四年一二月時点にかけて数メートルの河床低下となり、本件ダム完成前の昭和一〇年一〇月時点の河床に接近している(場所によってはそれ以下となっている。)こと、水位計算によっても、平成七年の川路三地区の河床は、五八災後のそれと比較して、約一・九メートル低下していることなど、現実にも相当な効果を上げていることが認められる。また、証拠(甲一二九、乙二五、三八、四〇、九四、証人尾田栄章、原審における控訴人今村亮)によると、地上げ計画は、堤内地盤を計画高水位まで底上げすることを内容としているから、結果的に築堤することなく計画高水流量を流下させる「堀込河道方式」を採用することになるところ、右方式は、「堤防方式」よりも、洪水による溢水時において浸水被害が格段に少なく、かつ自然排水も容易なことから内水被害も軽減できる長所を有すること、本件水位計算システムによれば、本件ダムによる河床上昇は、川路三地区付近で最大三・五メートルと算出されたところ、地上げ計画では最大六メートルの盛土をすることになっているから、この意味においては、本件ダムによる河床上昇対策にとどまらず、本来的なあるべき治水事業としての性質を有していること、本訴の元原告団長であった牧内敏が検討した私案も、基本的な構想において地上げ計画と共通するものがあること、以上の事実が認められ、これによれば、中堤防計画に取って代わることが予定されている地上げ計画は、本件ダムの存在による洪水被害への影響排除という目的の達成はもちろんのこと、これを超えた総合的な治水事業あるいは洪水対策としても完成度の高い合理的な施策ということができる。

もっとも、前記のとおり、行政処分の適法性の判断は、原則として当該処分のなされた時点を基準としてなされるべきものであるところ、右地上げ計画は、本件処分時においては未だ策定段階にとどまり、工事着手に至っていなかったことは控訴人らの指摘するとおりである。

しかしながら、本件処分は、許可期限を昭和九〇年三月三一日とする、将来にわたって効力を維持するものであるから、処分時において適法性に影響を及ぼすべき事情が右期間中に発生することが相当の確度をもって予想される場合には、そのような予想自体が右基準時において存在する判断要素として、付加的に考慮の対象となると解すべきところ、本件の地上げ計画については、前記認定のとおり、本件処分時において、建設省中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で基本的な実施についての合意が成立し、川路水害予防組合も基本的にこれを受け入れるとの決定をしていた(乙六六の二、八二の三によれば、右組合は、昭和六三年一〇月二二日の臨時総会においても、治水対策事業の受入れ決議をしたことが認められる。)というのであるから、本件処分の適法性を判断するに当たり、その要素として斟酌することができると解するのが相当である。現に、証拠(乙一〇五の一ないし五、証人古井武志)及び弁論の全趣旨によれば、実際にも盛土作業の前提となる土取場の買収、運搬道路の建設は最終段階に至っており、川路三地区における本工事についても、平成四年二月一四日に起工式が行われたことが認められる。

なお、証拠(甲一一八、一一九の一、一二〇の一、二、一二一の一、二)によれば、地上げ計画策定後も「川路危険家屋組合」や「六条を守る会」から右事業実施に対する反対の意思表示がなされていることが認められるが、反面、証人古井武志の証言によれば、行政と右各団体の構成員との間における今後の意思疎通次第では右事業の円滑な進捗が期待できると認められるから、右判断を覆すものではないと解される。」

7  (盛土の標高に関する説明の矛盾についての判断)

原判決八九頁五行目から一三行目までを次のとおり改める。

「証拠(乙九四)によると、地上げ計画の事業完成後の盛土の標高は川路地先で三七六・八メートルと認められるところ、工事実施基本計画に定められた時又地点の計画高水位は、河川関係法令例規集の抜粋である乙五五には三七八・一四メートルと記載されているのに対し、天竜川上流工事事務所の編纂誌である甲一三九には三七六・三七と記載されていることが認められる。

しかしながら、弁論の全趣旨によれば、甲一三九の記載は転記誤りであり、原記録ともいうべき乙五五の記載が正しいと認めれる。そうすると、上流に進むにつれて計画高水位が高くなるから、この点に関する地上げ計画の説明には何らの矛盾もないということができる。」

8  (五八災の洪水痕跡水位についての判断)

原判決九二頁一三行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「この点について控訴人らは、被控訴人の前提とする五八災の洪水痕跡がどのようなデータからどのような方法によって導き出されたのか不明であること、現に吉川工業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡は、久米川橋北詰盛土計画標識盛土高より二センチメートル高くなっているという事実があるから、本件水位計算の手法自体に問題があると主張し、甲一三六の一、二はこれに沿う内容となっている。

しかしながら、地上げ計画は、五八災規模の洪水に対処できるように危険区域に盛土しようとするものであり、被控訴人が右洪水痕跡値をことさらに低く測定することは考えられないというべきであるから、乙九四の図―一三に示した数値は、洪水痕跡のデータを基に水しぶき等による影響を排除して合理的に求めたものであるとの証人望月達也の証言は十分に信用できるものと判断することができる。そして、控訴人らの指摘する吉川工業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡値についても、果たして水しぶきや毛細管現象による影響を排除した数値であるのか、久米川橋北詰盛土計画標識が正確に盛土高を示しているのかの各点について明らかにする的確な証拠がない以上、甲一三六の一、二だけでは右認定判断を覆すには足りないというべきである。

9  (地上げ計画の合理性に関する判断の総括)

原判決九四頁二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

以上のとおり、治水計画の安全審査に関して、まず被控訴人が相当な根拠、資料を示してその判断に不合理な点のないことを明らかにすべきであるとの前記立場に立っても、本件における地上げ計画の合理性は、十分に認めることができる。」

10  (本件処分の適法性に関する判断の総括)

原判決九四頁三行目から九六頁一行目までを次のとおり改める。

「(3) 右(1)、(2)において判示したところによれば、本件処分当時、本件ダムによる河床上昇への影響はなお存在していたものの、これによる洪水被害の発生ないし拡大を予防すべく、天竜川上流域において国により総合的な治水事業が行われ、川路地区についていえば、一定規模までの洪水の溢水阻止とそれ以上の洪水の場合における人命等の被害予防及び財産的損害の補償というそれ自体完結した内容を持つ中堤防計画が実現したことにより、右影響は相当程度減少し、あるいはカバーされていたと認められる上、将来に生じ得る影響に対しても、洪水被害の予防という観点からは完成度の高い地上げ計画が進捗しつつあったというのであるから、本件ダムの存在が洪水被害に与える影響は、社会通念上容認できる程度に除去されていたと判断することができる。

したがって、被控訴人が、以上のような事情に加えて、本件ダムの公益性をも総合的に考慮、判断して本件処分を行ったことは適法というべきであり、右判断の過程に裁量権の逸脱、濫用があったと認めることはできない。」

第五結論

以上の次第で、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺剛男 菅英昇 加藤幸雄)

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